記憶術の歴史と奇跡のエピソード
古代ギリシャの記憶術から世界記憶力選手権まで
記憶術の歴史は古く、紀元前のギリシャでは、ほぼ現代の記憶術に近いものが完成されていました。そのことは、記憶術の英語名Mnemonicsがギリシャ神話の女神の名に由来することにも現れています。記憶術はその後、無名のラテン人青年の書いた「ヘレニズム宛修辞学」という本によって、帝政ローマに伝えられました。以来、時間をかけて全世界に広がり、多様な記憶術の応用法が生まれたわけです。
記憶術は歴史の表舞台には登場しませんが、ここにおもしろいエピソードが残っている天才たちをご紹介しましょう。
詩人シモニデスと大地震
古代ギリシャでのお話です。ケオス島の詩人シモニデスが宴会に出ているとき、外で2人の男が待っていると伝言があり、外に出ました。その直後、大地が揺れて建物が崩れ、中にいる人は全員死んでしまいました。遺体の損傷は激しく、だれがだれなのか遺族でもわかりません。ところが、ただ一人奇跡的に助かったシモニデスは、出席者を残らず覚えていたのです。彼はテーブルや柱などに出席者を結びつけて位置を覚えていたのでした。シモニデスの方法は記憶術の原型といわれ、このエピソードによって彼はヨーロッパで「記憶トレーニングの父」と呼ばれるようになりました。
弁論家キケロの草稿なし3時間演説
帝政ローマに、哲学者で弁論家でもあるキケロ(BC106年〜BC43年)という人がいました。彼はある日、ぶっ通しで3時間の大演説をし、しかもその内容は自分が書いた草稿と寸分たがわぬものだったそうです。当時、演説は草稿を見ないですることになっていたのです。彼の書いた記憶術の本の名前は「弁論家について」というものですが、このことからも当時、演説を覚えるために記憶術が必須の道具であったことがうかがわれます。彼の本は記憶術を後世に残すことに貢献しました。
帝国ホテルでの大実演、和田守菊次郎(明治時代)
明治20年代に突如、欧米の翻訳本も含めてたくさんの記憶術本が出版されました。日本の記憶術の歴史が華々しく幕を開いたのです。 その中で、最も異彩を放ったのが和田守菊次郎という人です。ある日、彼は帝国ホテルで記憶術の大実演会を開きました。そこで彼は、100人の人が読み上げた任意の単語を、すべて間違いなく覚えることに成功したのです。このイベントは大きなニュースになり、彼は「和田守式記憶法」の創始者として本を出しました。ちなみに、その本には先のシモニデスのエピソードについても書かれていたそうです。
彼はそのパフォーマンスによって自分をカリスマ化することには成功しましたが、商売が成功したかどうかは不明です。
「世界一の記憶術家」、石原誠之(昭和初期)
時は昭和初期。当時、「世界一の記憶術家」といわれた石原誠之という謎の人物がいました。ある心理学者が彼に興味を持ち、さまざまな実験をして記憶の研究をしました。そのとき、彼は100ケタの数字をわずか174秒で覚え、200ケタの数字を5分54秒で覚えてしまったそうです。この記録は今では記憶術の達人にとって当たり前ですが、当時は「奇跡」と映ったかもしれません。なお、石原誠之が数字を覚えた方法は、現代の日本や欧米の方法とまったく同じです。彼は数字を具象的な単語に変換したあと、なじみの風景に順番に結びつけるやり方をとっていました。
記憶力世界選手権は、参加できるだけでも超人!
1992年、記憶術の権威であるイギリスのトニー・ブザンらの提唱によって、脳の妙技を競う究極の競技会「第1回記憶力世界選手権」が開かれました。この競技会では、日付や単語、詩(各国語に翻訳)、数字、顔と名前などを覚え、覚えた時間や数量を競うもので、10種目が用意されています。そこで、世界選手権に出場するための最低限のレベルが気になるところですが、これが想像を超えています。まず数字の記憶ですが、これは700ケタの数字を1時間で覚えなければなりません。さらにトランプ(カード52枚)の順番を3分以内、7組のカードの順番を1時間以内に覚えなければならないのです。
この程度で驚いてはいけません。11回大会で優勝したイギリスのアンディ・ベルは、1時間でバラバラなカードの順番を23組と1枚(1196枚)も覚えてしまったのです。
まさに奇跡ともいうべき偉業ですが、こうした記憶術の達人たちの中には、学校時代は成績が悪かったという人も少なくありません。また、ある全米チャンピオンは、記憶術を使わない日常生活では、物忘れがひどくて困っているそうです。
●記憶の達人や超人にならなくても、十分に試験に勝てる!「私には超人はムリ…」とあなたはお思いでしょうか。でも彼らは記憶術のプロです。スポーツでいえばオリンピックに出場するレベル。常識を超えたハードなトレーニングを積んできた人たちなのです。自転車競技の日本代表になれないからといって、自転車に乗ることが無意味だと思う人はいません。 平らな道路では、自転車は歩くのにくらべると5倍くらい速く走れて、しかも疲れません。 記憶術だって同じです。名人、達人になる必要はないのです。今までの3〜5倍程度の記憶能力を身につければ、十分に価値があると思いませんか? 記憶術は自転車と同じように、練習によってだれでも実用レベルまではできるようになるのですから。 |


